作:橙野ユキオ
大阪府豊中市。
閑静な住宅街の一角に僕の新しいアパートはあった。家具付きの部屋だったため持ち込む荷物は少なく、布団と日用品くらいだった。ロフト付きの部屋に住めるということで僕のテンションは上がっていた。建物のことでテンションが上がるなんて、本当に久しぶりだった。
駅から遠いこともあって、家賃も何とかなりそうだった。寮で静養していれば経済的な負担は軽くてすむぞと経理の偉い人からは言われた。しかし、引っ越しは現状に変化を加えて、社会人として復活するための環境作りだと思っていたので、笑顔で適当な返事をした。平穏が金で買えるなら安いものだ。
会社は休職している僕のために、給料の7割ほどを毎月支給してくれた。そのおかげで一人暮らしが出来た。僕はその時、ありがたいと思うと同時に少し不思議でもあった。僕は現場で、所長と職人さんたちのシビアな駆け引きを何度も目の当たりにしていたから。職人さんたちは時間で仕事をしていない。左官屋さんなら何㎡の面積を小手で仕上げたか。型枠大工さんなら何枚の型枠を建て込んだか。鳶さんなら仮設足場をいくつ組み立てたか。彼らは僕と違って、給料をもらっていない。報酬をもらっているのだ。働いていない僕にお金をくれるなんて、会社には感謝しかない。今でもそう思っている。
引っ越しが終わり、新たな生活が始まった。すると、僕や俺が様々な顔を見せるようになった。
元気になって、現場に戻って、みんなの力になりたい。
でも体が思うように動かない。大宮さんに電話しようとすると、どうして過呼吸になってしまうのかわからない。パニックになってしまう。
現場に戻ったら新しい僕を見せたいから、大学時代の教科書を引っ張り出して、建築に関する知識を覚えなおす。そしてなぜか筋トレしてみる。
しかし、夜になり部屋が真っ暗になると、頭の中でパニック野郎が騒ぎ出し、現場の職人さんや上司を片っ端からハンマーで殴って血の海の中で笑っている。やってやったぞと吠えまくる。
実際に物を壊したり暴れたりすることは無かったが、頭の中はぐちゃぐちゃだった。俺が作り出す妄想は、9割の自己嫌悪と1割の征服感を僕の中にばら撒いた。
後片付けをするのはいつも僕だ。
朝になると、調子の良い時は本当に調子が良くて、自分が何故休職しているのか分からなくなるほどだった。試しに会社に電話してみようと思い、番号を押しながら痙攣を起こしてしまうので、大人しく寝ていろと由美に怒られたりもした。
すべてが上手くいっているわけではないものの、引っ越ししたこと自体は良かったと思う。胸が締め付けられるような気分が減ったからだ。この気分は、世の中への肩身の狭さというか何というか・・・
「誰の役にも立ってないやつが、生きてて申し訳ありません。」
みたいな感情が作る気分で、ずーーーーーーっと薄っすらと僕を包んでいるのだけれど、外からの刺激によってその濃度が濃くなる瞬間があり、その瞬間が減った。というようなイメージ。
これを仮に「地球に居候感(ちきゅうにいそうろうかん)」と名付ける。
今になって、なぜ減ったのかを考えてみると、自分の居場所を作るために身銭を切ったことが大きいのではないかなと思う。
この物語を書くにあたって、当時の僕を思い出してみて分かったことがある。それは、感謝とか恩返しといった意識がかなり歪(いびつ)だったということだ。
「自分が恵まれている」ということは、有難いことだともちろん認識しているし、「自分は恵まれている」という意識が全く無いのは人としてダメだということも分かっている。
その上で、「地球に居候感」の大きな原因は「自分が恵まれている」ことを極端に大きく歪曲して捉えていることにあると思う。「自分が恵まれている」ということを「自分みたいなものは誰かの力で生かされている」と脳が勝手に変換してしまっていた気がする。僕の周りには会社も含めて弱った僕を助けようとしてくれる人がいた。会社の人たち、会社のシステム、両親、地域の医療機関、カウンセラーさん、由美、商店街の人など何人も。その人たちのお陰で今の僕があると考えるのが普通なのかもしれない。けど、そうすると常に周りに遠慮している僕がいた。というか、遠慮している状態がデフォルトになった。そして周りが、その状態の僕が普通だと思い込んだ。
よって周りはもっと助ける。そして僕はもっと遠慮する。
ありがたい。めちゃめちゃありがたい。それはマジで骨身に染みて分かっている。しかし、周りに感謝すればするほど「地球に居候感」は強くなるのだ。
のびのび生きたいと何度も思った。でも、ここで開き直れる人やイキイキと恵まれた環境を味わえる人は、そもそもパニック障害にならないと思う。
僕の場合、ちゃんとお金を使うことで「地球に居候感」が減った。具体的に言うと、家賃を払って部屋を借りたことと水道光熱費を毎月払ったことだ。それまではこれらの費用の大部分を会社が払ってくれていた。誰かに用意された場所で生かされている環境から、自分で確保した居場所に移って少し自立したと感じていた。今考えると、それは壮大な勘違いで、その費用を払うお金は働いていない僕に会社が与えてくれた給料なんだけど、当時の僕は自分の力でこの場所を手に入れた気分になっていた。
しかし、その勘違いがポイントだったように思う。ともかく、今までとは違って自分で行動して環境を変え、僕の中の何かが変化したのだから。
周りの人たちと接するとき、遠慮した自分でなくなることは無かったけど、一人になったとき、ちゃんと素に戻れた。ダラダラできたし、テキトーにできた。そういう時間と場所は大切だ。
そんな感じで僕の新生活はスタートした。
大阪府豊中市。
閑静な住宅街の一角に僕の新しいアパートはあった。家具付きの部屋だったため持ち込む荷物は少なく、布団と日用品くらいだった。ロフト付きの部屋に住めるということで僕のテンションは上がっていた。建物のことでテンションが上がるなんて、本当に久しぶりだった。
駅から遠いこともあって、家賃も何とかなりそうだった。寮で静養していれば経済的な負担は軽くてすむぞと経理の偉い人からは言われた。しかし、引っ越しは現状に変化を加えて、社会人として復活するための環境作りだと思っていたので、笑顔で適当な返事をした。平穏が金で買えるなら安いものだ。
会社は休職している僕のために、給料の7割ほどを毎月支給してくれた。そのおかげで一人暮らしが出来た。僕はその時、ありがたいと思うと同時に少し不思議でもあった。僕は現場で、所長と職人さんたちのシビアな駆け引きを何度も目の当たりにしていたから。職人さんたちは時間で仕事をしていない。左官屋さんなら何㎡の面積を小手で仕上げたか。型枠大工さんなら何枚の型枠を建て込んだか。鳶さんなら仮設足場をいくつ組み立てたか。彼らは僕と違って、給料をもらっていない。報酬をもらっているのだ。働いていない僕にお金をくれるなんて、会社には感謝しかない。今でもそう思っている。
引っ越しが終わり、新たな生活が始まった。すると、僕や俺が様々な顔を見せるようになった。
元気になって、現場に戻って、みんなの力になりたい。
でも体が思うように動かない。大宮さんに電話しようとすると、どうして過呼吸になってしまうのかわからない。パニックになってしまう。
現場に戻ったら新しい僕を見せたいから、大学時代の教科書を引っ張り出して、建築に関する知識を覚えなおす。そしてなぜか筋トレしてみる。
しかし、夜になり部屋が真っ暗になると、頭の中でパニック野郎が騒ぎ出し、現場の職人さんや上司を片っ端からハンマーで殴って血の海の中で笑っている。やってやったぞと吠えまくる。
実際に物を壊したり暴れたりすることは無かったが、頭の中はぐちゃぐちゃだった。俺が作り出す妄想は、9割の自己嫌悪と1割の征服感を僕の中にばら撒いた。
後片付けをするのはいつも僕だ。
朝になると、調子の良い時は本当に調子が良くて、自分が何故休職しているのか分からなくなるほどだった。試しに会社に電話してみようと思い、番号を押しながら痙攣を起こしてしまうので、大人しく寝ていろと由美に怒られたりもした。
すべてが上手くいっているわけではないものの、引っ越ししたこと自体は良かったと思う。胸が締め付けられるような気分が減ったからだ。この気分は、世の中への肩身の狭さというか何というか・・・
「誰の役にも立ってないやつが、生きてて申し訳ありません。」
みたいな感情が作る気分で、ずーーーーーーっと薄っすらと僕を包んでいるのだけれど、外からの刺激によってその濃度が濃くなる瞬間があり、その瞬間が減った。というようなイメージ。
これを仮に「地球に居候感(ちきゅうにいそうろうかん)」と名付ける。
今になって、なぜ減ったのかを考えてみると、自分の居場所を作るために身銭を切ったことが大きいのではないかなと思う。
この物語を書くにあたって、当時の僕を思い出してみて分かったことがある。それは、感謝とか恩返しといった意識がかなり歪(いびつ)だったということだ。
「自分が恵まれている」ということは、有難いことだともちろん認識しているし、「自分は恵まれている」という意識が全く無いのは人としてダメだということも分かっている。
その上で、「地球に居候感」の大きな原因は「自分が恵まれている」ことを極端に大きく歪曲して捉えていることにあると思う。「自分が恵まれている」ということを「自分みたいなものは誰かの力で生かされている」と脳が勝手に変換してしまっていた気がする。僕の周りには会社も含めて弱った僕を助けようとしてくれる人がいた。会社の人たち、会社のシステム、両親、地域の医療機関、カウンセラーさん、由美、商店街の人など何人も。その人たちのお陰で今の僕があると考えるのが普通なのかもしれない。けど、そうすると常に周りに遠慮している僕がいた。というか、遠慮している状態がデフォルトになった。そして周りが、その状態の僕が普通だと思い込んだ。
よって周りはもっと助ける。そして僕はもっと遠慮する。
ありがたい。めちゃめちゃありがたい。それはマジで骨身に染みて分かっている。しかし、周りに感謝すればするほど「地球に居候感」は強くなるのだ。
のびのび生きたいと何度も思った。でも、ここで開き直れる人やイキイキと恵まれた環境を味わえる人は、そもそもパニック障害にならないと思う。
僕の場合、ちゃんとお金を使うことで「地球に居候感」が減った。具体的に言うと、家賃を払って部屋を借りたことと水道光熱費を毎月払ったことだ。それまではこれらの費用の大部分を会社が払ってくれていた。誰かに用意された場所で生かされている環境から、自分で確保した居場所に移って少し自立したと感じていた。今考えると、それは壮大な勘違いで、その費用を払うお金は働いていない僕に会社が与えてくれた給料なんだけど、当時の僕は自分の力でこの場所を手に入れた気分になっていた。
しかし、その勘違いがポイントだったように思う。ともかく、今までとは違って自分で行動して環境を変え、僕の中の何かが変化したのだから。
周りの人たちと接するとき、遠慮した自分でなくなることは無かったけど、一人になったとき、ちゃんと素に戻れた。ダラダラできたし、テキトーにできた。そういう時間と場所は大切だ。
そんな感じで僕の新生活はスタートした。