作:橙野ユキオ
※この物語の概要と作者が伝えたいことはこちら
・休職と復職の間
週に一度のカウンセリングに通う生活が始まって三か月が過ぎた。それ以外の外出は無く、実家の自分の部屋で過ごしていた。テレビを見て過ごしていた日もあったけど直ぐに飽きたと思う。それから何をして部屋で過ごしていたのかよく覚えていない。テレビゲームとか漫画とか好きなものはあったが、この頃は楽しいことをすることに罪悪感を感じていたのを覚えている。心の底から楽しいことを楽しめる日が来ること心待ちにしているけど、今でもまだ来ていない。でも今は楽しいことをやっててそれなりに楽しいし、心から楽しめなくても別にいいかなぁと思っている。
昼間の精神状態は結構安定してきていた。ただ、夜に寝るのがどうしても苦手なままだった。自分の将来や世間体など、答えの無い問題を考えてしまう。これはもう癖になっていて自分の力ではどうにもならないのではないかと諦めているような気持ちもあった。なので、薬で寝る日が多かったけど、答えの無い問題への答えが見つからないことの方が僕にとっては問題だったので、薬を飲まなければ寝られないことを問題だと思っていなかった。
カウンセリングを受けると毎回発見があった。心の苦しい時に、どのような対処法があるのか知ることが出来たからだ。谷川さんは僕の具体的な苦しいと感じたエピソードの中から考え方や対処法を教えてくれたので、自分の対処法として素直に受け取ることが出来た。これは心理学系の本を読むことでは感じることの出来ないカウンセリングの大きなメリットだと思う。
そんな中で、谷川さんからある提案があった。病院内の喫茶店で皿洗いをしてみないかというものだった。働いていないことに対する罪悪感がどうしても拭えなかったこと、お金をもらって何かをすることに対して肩に力が入りすぎてしまうこと、不特定多数の人といると疲れてしまうこと、当時の僕が抱えている苦しさを緩和するために谷川さんが考案してくれた治療の一つだった。これが苦しさの緩和に繋がるのかどうかはピンときてなかったけど、やってみたら確かに心が軽くなっていく実感があったので、プロはすごいなと思った。幸せに生きるためには素直さが重要だと思った。
皿洗いは完全にボランティアだった。ランチタイムの時間帯だけ三時間ほどキッチンに入り、皿を洗い続ける。単純作業を続けることは性格的に向いていた。普段は他人の視線が気になっていたが、シンクをずっと見つめていても出来る作業だったので、ストレスは感じることなく続けることが出来た。
谷川さんとのカウンセリングを通して予想していた通り、お金が関わっていない環境では人間関係においてストレスを感じることがほとんど無かった。「お金を稼ぐ」とか「無駄なお金を払わない」とか、本来は行動のモチベーションになるような感情を、必要以上に大きく考えて自分を縛っていたなと思う。
喫茶店にはキッチンで料理を作るおばちゃんと、ホールで働いているおばちゃんがいて、たまに様子を見に来るマネージャーのような仕事をしている男性がいた。みなさんとても温和な雰囲気の方々で、緊張することはほとんど無かった。特に料理を作っていた渡辺さんとは頻繁に話すようになって、色々な話をした。
仕事ぶりを褒められたりすることは無かったけど、僕はとても満ち足りた時間を過ごしていた。パニック障害を発症した職場では褒められたりすることが無くて、承認欲求が満たされてないからストレスを感じていると思っていた。しかし、褒められなくても満たされることがあることが解ったので、この仮説は間違っているんだなと分かった。自分の心とは本当に分からない部分が多いのだなと思った。
僕は渡辺さんに割と細かく病気になった経緯などを話すようにしていた。この頃になるとカウンセリングを通して人と話すことで自分の頭の中が少しずつ整理されていくような気がしたからだ。同じ話を何回もしていたこともあったと思うけど、渡辺さんは朗らかに聞いてくれた。人に恵まれたなと感謝している。
少しずつ社会と繋がり直せているような気がした。キッチンは対面式でお客さんのテーブルを見ることが出来る造りになっていたので、お客さんと会話をすることも稀にあった。そういう時に、わりと大きな声で「いらっしゃいませ!」と言えたり、「ありがとうございました。」と言えたりした時に、すごく満足感があった。
何か、他人とは違う凄いことをして、それを他人が評価してくれた時に満足感というのは得られると思っていたけど、どうも違うらしい。お皿を洗って、布巾で拭いて、棚に戻して、挨拶をする。そしたら「助かったわぁ。」と感謝される。出来たことで感謝されるようなことなのか?と思って戸惑ったが、僕の心は幸せに包まれていた。
世の中の役に立っていることが実感できたとても貴重な体験だった。僕は大阪の職場で、ほとんど雑談をしたことが無かった。周りの人たちはたくさん雑談をしながら楽しそうにキツイ仕事をしていた。もし自分が雑談をしていたら、怠けているように見えるんじゃないかと心配だったから。でも、雑談をしていても、していなくても、渡辺さんは僕に変わらぬ笑顔を向けてくれた。人間にとって無駄に思えるような時間が心に余裕を生み出していて、慢性的なストレスを緩和していることに、この時初めて気が付いた。
僕はこれまで、効率よく成果を出そうとして焦り過ぎていたのかもしれない。
世間というのは、思ったより優しいようだ。
※この物語の概要と作者が伝えたいことはこちら
・休職と復職の間
週に一度のカウンセリングに通う生活が始まって三か月が過ぎた。それ以外の外出は無く、実家の自分の部屋で過ごしていた。テレビを見て過ごしていた日もあったけど直ぐに飽きたと思う。それから何をして部屋で過ごしていたのかよく覚えていない。テレビゲームとか漫画とか好きなものはあったが、この頃は楽しいことをすることに罪悪感を感じていたのを覚えている。心の底から楽しいことを楽しめる日が来ること心待ちにしているけど、今でもまだ来ていない。でも今は楽しいことをやっててそれなりに楽しいし、心から楽しめなくても別にいいかなぁと思っている。
昼間の精神状態は結構安定してきていた。ただ、夜に寝るのがどうしても苦手なままだった。自分の将来や世間体など、答えの無い問題を考えてしまう。これはもう癖になっていて自分の力ではどうにもならないのではないかと諦めているような気持ちもあった。なので、薬で寝る日が多かったけど、答えの無い問題への答えが見つからないことの方が僕にとっては問題だったので、薬を飲まなければ寝られないことを問題だと思っていなかった。
カウンセリングを受けると毎回発見があった。心の苦しい時に、どのような対処法があるのか知ることが出来たからだ。谷川さんは僕の具体的な苦しいと感じたエピソードの中から考え方や対処法を教えてくれたので、自分の対処法として素直に受け取ることが出来た。これは心理学系の本を読むことでは感じることの出来ないカウンセリングの大きなメリットだと思う。
そんな中で、谷川さんからある提案があった。病院内の喫茶店で皿洗いをしてみないかというものだった。働いていないことに対する罪悪感がどうしても拭えなかったこと、お金をもらって何かをすることに対して肩に力が入りすぎてしまうこと、不特定多数の人といると疲れてしまうこと、当時の僕が抱えている苦しさを緩和するために谷川さんが考案してくれた治療の一つだった。これが苦しさの緩和に繋がるのかどうかはピンときてなかったけど、やってみたら確かに心が軽くなっていく実感があったので、プロはすごいなと思った。幸せに生きるためには素直さが重要だと思った。
皿洗いは完全にボランティアだった。ランチタイムの時間帯だけ三時間ほどキッチンに入り、皿を洗い続ける。単純作業を続けることは性格的に向いていた。普段は他人の視線が気になっていたが、シンクをずっと見つめていても出来る作業だったので、ストレスは感じることなく続けることが出来た。
谷川さんとのカウンセリングを通して予想していた通り、お金が関わっていない環境では人間関係においてストレスを感じることがほとんど無かった。「お金を稼ぐ」とか「無駄なお金を払わない」とか、本来は行動のモチベーションになるような感情を、必要以上に大きく考えて自分を縛っていたなと思う。
喫茶店にはキッチンで料理を作るおばちゃんと、ホールで働いているおばちゃんがいて、たまに様子を見に来るマネージャーのような仕事をしている男性がいた。みなさんとても温和な雰囲気の方々で、緊張することはほとんど無かった。特に料理を作っていた渡辺さんとは頻繁に話すようになって、色々な話をした。
仕事ぶりを褒められたりすることは無かったけど、僕はとても満ち足りた時間を過ごしていた。パニック障害を発症した職場では褒められたりすることが無くて、承認欲求が満たされてないからストレスを感じていると思っていた。しかし、褒められなくても満たされることがあることが解ったので、この仮説は間違っているんだなと分かった。自分の心とは本当に分からない部分が多いのだなと思った。
僕は渡辺さんに割と細かく病気になった経緯などを話すようにしていた。この頃になるとカウンセリングを通して人と話すことで自分の頭の中が少しずつ整理されていくような気がしたからだ。同じ話を何回もしていたこともあったと思うけど、渡辺さんは朗らかに聞いてくれた。人に恵まれたなと感謝している。
少しずつ社会と繋がり直せているような気がした。キッチンは対面式でお客さんのテーブルを見ることが出来る造りになっていたので、お客さんと会話をすることも稀にあった。そういう時に、わりと大きな声で「いらっしゃいませ!」と言えたり、「ありがとうございました。」と言えたりした時に、すごく満足感があった。
何か、他人とは違う凄いことをして、それを他人が評価してくれた時に満足感というのは得られると思っていたけど、どうも違うらしい。お皿を洗って、布巾で拭いて、棚に戻して、挨拶をする。そしたら「助かったわぁ。」と感謝される。出来たことで感謝されるようなことなのか?と思って戸惑ったが、僕の心は幸せに包まれていた。
世の中の役に立っていることが実感できたとても貴重な体験だった。僕は大阪の職場で、ほとんど雑談をしたことが無かった。周りの人たちはたくさん雑談をしながら楽しそうにキツイ仕事をしていた。もし自分が雑談をしていたら、怠けているように見えるんじゃないかと心配だったから。でも、雑談をしていても、していなくても、渡辺さんは僕に変わらぬ笑顔を向けてくれた。人間にとって無駄に思えるような時間が心に余裕を生み出していて、慢性的なストレスを緩和していることに、この時初めて気が付いた。
僕はこれまで、効率よく成果を出そうとして焦り過ぎていたのかもしれない。
世間というのは、思ったより優しいようだ。