Psychoro

パニック野郎と僕物語ーダサい自分と幸せな自分はたぶん両立できる 第23話 「カウンセリングとプロレス」

作:橙野ユキオ

※この物語の概要と作者が伝えたいことはこちら

 

・焦る毎日

通う病院が決まってその時は安心したものの、次の日の朝になると気分はいつもと同じような感じに戻っていた。

自分は生きてて意味があるのか?社会に何の貢献もしていないのに三食食べて寝て・・・。恥ずかしくないのか?これからどうするの?

「何か」が僕に常に問いかける。起きている間、ずっと。

これは僕が持っている「世間体」とか「常識」とか、そういうものの集合体だと思うけど、ハッキリしない存在なので当時はこの「何か」に名前を付けられなかった。

パニック野郎は感情的で、ハッキリと自己があるような気がしたけど、この「何か」はとても冷静で、淡々と正論を僕に押し付けてくる。この時期は本当に辛かった。パニック障害の治療をしていて一番辛い時期だったと思う。

僕は毎日とにかく焦っていた。

「これからどうしよう?これからどうしよう?」

こればっかりだった。親からどうしたいのか聞かれるのが辛かった。二人はとても優しく、僕の一番の味方であることは十分に分かっている。僕を何とか助けたいという気持ちはとても伝わってきていた。それだけに、答えられないことが申し訳なく、答えを見つけたいという気持ちが、焦りをさらに加速させた。

谷川さんに会うために病院に行くことは、その焦りを緩和してくれた。彼とのカウンセリングで答えが見つかるわけではなかったが、見つけるために具体的な行動をしていると思うと、人生が少し前進している気がした。これからどうなるのかの具体的な目度は立っていない。しかし、カウンセリングに行く以外で毎日に及第点を付ける方法がわからなかった。

そうなると、カウンセリングに行かない日をいかにしてやり過ごすかが重要になってくる。やる意味は無くても、何か没頭できるものが必要だった。油断すると「何か」が正論を押し付けてくる。一人でできることが良かった。他人とふれあうと「生きているのが恥ずかしい」という気持ちが強まってしまうから。そこで読書を始めた。毎回ではなかったが、本によっては僕を没頭させてくれた。より没頭する確率を上げるために、家ではなく、なるべく病院の一室で読書をさせてもらった。

 

・みんな違って、みんな分からん

週に一回程度カウンセリングをしてもらって、それ以外の日も許可が出た日はなるべく病院に行って読書をするという日を続けた。人に会いたくないから家から出たくないけど、家にいると焦ってしまうから外で何かをやっていたい。あちらを立てればこちらが立たず。だが、何かやるしかない。やるしかないんだ。

病院で読書をしていると、僕以外の患者さんが部屋に入ってきて、一緒に時間を過ごすこともあった。お互い特に話したりもしなかったので、気は楽だった。話せる範囲でお互いの身の上話をすることもあった。その時は相手の話の腰を折らないように、聞くことを意識して話していた。

そんな生活を一か月くらい続けていると、何人か面識のある人が増えていった。谷川さんの勧めで、その中の何人かと集団カウンセリングをしてもらったこともあった。自分以外の精神的な病気を抱えている人の話を生で聞いたことが無かったので、とても興味深く参加した。自分の悩みの解決のヒントになることを聞けるのを期待したし、彼らとは悩みを共有できるのではないかとも期待した。

みなさん穏やかでいい人たちばかりだった。だが、話を聞いていて共感できることは少なかった。僕があまり共感できないということは、相手も僕の話にあまり共感できないのだろうなと思った。

必要以上に手を洗ってしまうことで悩んでいる人の気持ちを想像しても、全然リアリティが無かった。

部下に仕事を任せられず、自分から必要以上に仕事を背負いこんでしまう人の気持ちは、部下を持ったことが無いので分からなかった。

大恋愛の末に失恋して、落ち込み過ぎて会社に行けなくなった人の場合は、顔が青白く悲壮感が漂っていた。僕より明らかに生きているのが辛そうだったので胸が苦しくなったが、何故そんな顔になるのかは、三日考えたが分からなかった。(由美が人生初の彼女だから、僕に失恋の経験が無いためと思われる。)

不安で眠れない夜があるとか、家族との関係に困っているなど、「わかる!わかる!」という部分もあった。僕の話を他の参加者の人に聞いてもらうことで、スッキリした気分になることが出来たので、集団カウンセリングの効果はそれなりにあったと思う。

この経験を通じて、僕は自分の病気が誰かに相談して解決するものではないのではないかと思うようになった。同じパニック障害という病名を付けられた患者同士でも、その症状に至るまでの経緯は千差万別で、お互いに理解できる部分は少ないと思う。答えは自分の中にある。その見つけ方がわかっていないだけ。しかし、孤独な環境でどれだけ自分のことを考えたとしても、解決策は見つからない。なぜなら、そういう環境では自分を客観視することが極めて難しいからだ。

他人と自分を比較することからこの病気は始まっていると思う。周りの人より、もっと素敵に。もっと格好よく。もっと幸せに。もっとお金を。比べる相手はどんどん変わっていくので、いつまで経っても現状が満たされることは無い。なので、現状で幸せを感じやすくするためには自分なりの「幸せの基準」が必要になってくる。だから自分を見つめ直す時間は必要だと思う。しかしその基準は、自分との対話だけで作り上げることはできないのではないか。他人との比較は、自分の基準を作り上げるまでの途中経過のような気がする。芋虫はサナギに成らずして蝶には成れないから。

比較に振り回されているから比較しないようにしようと気を付けているのに、比較の過程が無いと安定した自己を獲得できないなんて皮肉な話なのだろう。「人間は社会的動物である。」というアリストテレスの言葉が僕の頭の中をぐるぐると回っていた。僕も含めて人間は、どう転んでも他人と関りながら、関りの中で生きていくしかないんだ。

 

・プロレスから感じたこと

そしてもう一つ、この時期に大きな出来事があった。それはプロレスをテレビで見るようになったこと。特に、新日本プロレスという団体の試合をよく見るようになった。この団体は、アントニオ猪木さんが最初に作った団体で、ジャイアント馬場さんの作った全日本プロレスと並んで、昔からとても人気がある団体だ。しかし、新日本プロレスはテレビ朝日系列のチャンネルでしか見ることが出来ないので、テレビ朝日の映らない鳥取では、これまで見る機会が無かった。しかし、地デジ放送が始まってから衛星放送で、テレビ朝日の番組を見ることが出来るようになったのをキッカケに、毎週試合を見るようになった。そして、僕はプロレスの虜になった。

病院に行くこと以外では外出せず、生きてることが恥ずかしいと思っていた僕の心に、プロレスの何が刺さったのか。それはプロレスが「負けっぷりの大切さ」を教えてくれたからだ。特に「石井智宏(いしいともひろ)」という選手は僕の常識をぶち壊してくれた。

彼は1975年生まれの日本人プロレスラーで、170cm、100kgと僕より小さい選手だ。人間離れしたレスラーの多い新日本プロレスの中で、彼は特に小さく見えた。しかし、パワフルな技が多く、体の小ささを微塵も感じさせないファイトスタイルで、無骨に正面から対戦相手をなぎ倒す姿に僕は感動した。そして、石井選手以外の選手のブログやSNSをフォローして見るようになり、プロレスのことが段々と分かってきた。

プロレスはファイティング・オペラだ。基本的には戦いの流れや勝敗は事前に決まっているものだと思う。もちろん選手は誰も明言しないが、ファンはそれを解ったうえで試合を見ている。それでも抜群に面白い。ボクシングや柔道みたいな格闘技も見ていて面白いが、プロレスの面白さはまた別のところにある。アドリブだけの即興芝居も面白いが、脚本家が脚本を書き、演出家が演出した芝居も面白いのと同じだ。

プロレスラーは明確に役割が分かれている。大きく分けて二つ。正義役のレスラー(俗に言うベビーフェイス)と悪役レスラー(俗に言うヒール)だ。闘いをお客さんに見せるわけだから、正義と悪に分かれていたほうが解りやすい。初めて見る人にも解りやすいようにヒールは本当に悪くて怖そうな衣装で登場する。だから選手のことを知らなくても、声援やブーイングをしやすい。

石井選手はヒールだ。愛想がいいわけでもなく、ファンサービスもそこそこ。ヒールという役回り上、試合で負ける(負けるシナリオである)ことが多い。他のヒールよりも身体が小さいので、集団でいると全然目立たない。ショービジネスの世界で目立たないというのは致命的ではないかと思ったが、他の選手のインタビューやファンのコメントを読んでいると、石井選手の評価はとても高かった。

なぜ彼の評価が高いのか。考えていくうちにプロレスの奥深さを感じた。

 

・僕の感じたプロレスの奥深さとは

プロレスは興行だ。演劇やサーカスと同じように公演を数多く行い、お客さんの入場料が団体の主な収入源になる。お金を取って見せる以上、お客さんに喜んでもらわなくてはいけない。何かを感じてもらわなくてはいけない。それは感動だったり、驚きだったり、幸せだったり、人それぞれだと思う。お客さんに何かを感じてもらって、その何かがそのお客さんにとってのエネルギーになり、次の日もまた頑張ろうと思ってもらう。そしてまた会場に足を運んでもらう。その為に演者たちは力を合わせて頑張っている。

そんなことを考えながらプロレスを見ていると、プロレスの技というのは、仕掛けた方と仕掛けられた方とが協力して出来上がっていることに気が付いた。その日の試合が終わっても、次の日も、そのまた次の日も、試合は既に予定されている。技を仕掛けたことで相手を怪我させてしまったら、次の日から自分が困ることになる。対戦相手がいなくては試合が出来ないからだ。だからと言って、手加減した技に見えてしまうとお客さんは一気に冷めてしまう。技を仕掛けられる方も、怪我を恐れて技を避けてばかりでは試合が盛り上がらない。よって、技を仕掛ける側には、相手に怪我をさせずに迫力を出す演技力が求められ、技を仕掛けられる側は、どんな技を仕掛けられても怪我をしない強靭な肉体と卓越した受身の技術が求められる。

石井選手はこの受身の姿勢が素晴らしいんだと思った。相手の技を正面から受け止めると、身体への負担が大きいはずだ。次の日のことなどを考えると、受け止めたくない技もあると思う。でも石井選手はどんな時も真っ向勝負で相手の技を全て受け止めていた。技に正面から立ち向かっていくと、その技はすごく威力がありそうな技に見える。見ているだけで痛くなるような技に見える。そう考えると、技の威力は技を受ける側の技術と合わさって決まっているように見えてきた。激しい試合を連日行っても、怪我が少なく、試合を欠場しないのも大きな魅力だ。欠場しないことは選手同士の信頼に大きく影響すると思う。

石井選手は「名勝負製造機」と呼ばれている。誰と試合をしても抜群に会場が盛り上がるからだ。石井選手が受けた時とそれ以外の選手が受けた時では、同じ選手の同じ技でも技の威力が違って見えるのが大きな要因だと思う。彼自身が勝つことはあまりない。それでも彼の試合は大会のメインイベントになることが多かった。逆に、すごく華があってイケメンで勝ちまくっているのに、試合があまり盛り上がらなくて伸び悩んでいる選手もいた。僕は石井選手の闘いから、勝負において勝ち負け以外の何かがあることを感じた。

僕はずっと結果を出したいと思っていた。プロレスでいえば、自分が勝つ試合をしたいとずっと思っていた。建設業は結果が全てだ。最終的に出来上がった物が良い品質のものであることが唯一絶対の正義。工程がスムーズに進んだからといって、予算より多く支払いをする施主などいるわけがない。同じ品質の物が出来上がるなら、工程をいかに簡略化するか、人件費を下げるか、安い材料を用意するか、ということを常に考えていた。その中で結果が出ない(手間のわりに品質が良い物が出来ない)から苦しんだのだ。

プロレスは僕の知る社会とは真逆なことを、大人が命懸けでやっていた。「勝ち負け」より「勝ちっぷり負けっぷり」が評価されている世界だった。結果よりも過程が重視されていた。少なくとも僕にはそう見えた。盛り上げまくって試合に勝つチャンピオンレスラー、全力でカッコ良さをアピールしているのにブーイングを貰うベビーフェイス、負けても負けてもメインイベントで試合をするヒール、お客さんの拍手を貰いながら担架で運ばれる新人レスラー。いろんな人種が色んな役割を全力で演じていた。試合の勝ち負けよりもレスラーとしての姿勢でその人の評価が決まっていた。衝撃だった。そんな世界があるのか。結果より過程が重視される。そんな世界があるのか。

一つでも例外があるなら、それで十分だった。僕にとってプロレスは生きる希望になった。例外があるなら、他にもそんな世界がある可能性は十分にあると思った。今日の負けっぷりが明日に繋がると思うと、今を大切に出来た。生き方や生きる姿勢を意識するようになった。目指す姿勢に見合った行動をしようと思った。結果が出なくても大丈夫。逆に、今を大切に全力でやってないと、明日以降が良い未来になる可能性は低くなると思った。もしそれで仮に良い未来になったとしても、長くは続かない。プロレスがそれを体現していた。勝ちっぷりが良くても、負けっぷりが悪いとファンは盛り上がらないのだ。考えがまとまった日、僕は興奮してなかなか寝付けなかった。

次の日のカウンセリングで、僕は谷川さんにプロレスのことを興奮気味に話した。その素晴らしさを彼に伝えたかった。谷川さんは頷きながら僕の話を聞いてくれた。

「この素晴らしさを同じように悩んでいる人に伝えたいと思っている。」

と言ったところで、谷川さんのアドバイスが入った。今回の僕の経験は、僕独自のものである可能性が高いそうだ。つまり、プロレスの同じ試合を見ても、僕と僕以外の人では感じることが違うらしい。僕には信じられなかった。プロレスの素晴らしさは「ただそこにあるもの」だったから。しかし、専門家のアドバイスは尊重したほうがいいと思ったので、プロレスのことを吹聴するのは自重した。

プロレスは僕にとって今でも大切な存在だ。今は当時ほど見ていないけど、気になる選手の試合はチェックしている。プロレスは常に進化していて、見る度に新しい気付きがある。自分に自信が無くて、行動することを躊躇している人は一度でいいから見てほしいと思う。

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