Psychoro

パニック野郎と僕物語 第14話「全てを見通す者たち」

作:橙野ユキオ

 

ガタンゴトン・・・ガタンゴトン・・・ガタンゴトン・・・・・・

 

ああっ!!たすけて!!!

 

変な夢から目を覚ます。背中がじっとりと汗をかいている。どうやら知らない間に眠っていたようだ。

 

向かいの席のサラリーマンが驚いた顔でこちらを見ている。もしかしてさっきの叫びは声に出ていたのだろうか。時間が戻るわけでもないので、確認のしようがない。

 

職場に復帰して豊中の現場が終わり、僕はとりあえず姫路の本社に通うことになった。電車で乗り換え2回の片道1時間半。朝礼に間に合うためには家を朝6時には出なければならない。

 

そりゃあ、電車の中で眠くもなるだろう。何故かはわからないが、この頃は変な夢を見ることが多かった

 

ちなみにこの時は、ゲレンデで上から滑ってくるガチャピンから僕が逃げ回っているという夢だった。小型のムック型爆弾を死ぬほど投げてくるというのも怖かったのだが、ガチャピンの表情から殺意が感じられないことが一番怖かった。

 

もちろん、どんな夢占いにも当てはまらなかった。解る人は教えてほしい。

 

夢とは対照的に僕の現実は快適だった。早起きすればいいだけだから、悩まなくていい。次の現場が決まるまで、先輩たちは図面整理などをしていて刺激がないとかつまらないとか言っていたけど、僕には快適な日常だった。

 

刺激の中に幸せは無い。あっても慣れて刺激でも幸せでもなくなる。

 

当時の僕は、つまらない日常の中に答えを見つけようとしていた。

 

その日もせっせと図面整理をしたり、建築図書として必要な書類を作っていた。その前の日は、1日中会議用の資料をコピーしていた。コピーで悟りを開いてしまうかもしれないくらい無心でコピー機と向き合った。

 

しかし、世の中は絶えず動いている。刺激は突然やってきた。

 

「橙野!ちょっと会議室まで行け。」

 

先輩に促されて僕は会議室に向かった。

 

会議室に入ると、本社建築部の山澤(ヤマサワ)部長と大阪支店建築部統括の千波(センバ)次長が座っていた。

 

千波次長は大阪支店全体の飲み会などで何度も会ったことがある。恰幅が良く、顔に何とも言えない迫力がある。閻魔大王が現世に来たみたいな風貌をしている。実際、現場に出てきた時の仕事ぶりと迫力は凄まじいものがある。

 

「現場監督」という言葉を具現化したような人だ。一緒にいるだけで緊張してしまうので、僕は少し苦手だった。しかし、僕にないものを持っている気がして、憧れている存在でもあった。

 

竹を割ったような性格なので、話しやすくはあるんだけど。大宮さんの上位互換みたいな存在だ。

 

「今は全体の統括の仕事をされているので温和になった。」と色んな先輩に聞いていた。嘘だろ?と思った。温和になった結果、仕上がりが閻魔大王ってことある?元々は怪獣とかだったのかな?

 

実際に、若いころは現場で職人さんたちとバチバチにやり合っていたらしい。今ではコンプライアンス的に公で話せない伝説がいくつもあった。

 

好きな乗り物が「戦闘機」で、好きな四字熟語が「毘沙門天」なのだから、只者ではない。

 

山澤部長はお偉いさん過ぎて、この時までほとんど話をしたことが無かった。入社式で見かけたことがあるくらい。大阪の現場に来ることはほとんど無かった。中肉中背の普通の紳士だ。

 

しかし、閻魔大王がめちゃくちゃペコペコしている。信じられない。頭が上がらない存在だという空気をひしひしと感じる。この紳士が実は怪獣なのかもしれない。

 

後で聞いた話だが、山澤部長も若いころは結構な武闘派で、現場でトラブルになった職人さんと相撲で決着をつけたという逸話がある。めちゃくちゃ投げ飛ばして勝ったらしい。

 

「橙野。久しぶりやな。気分はどうや?」

 

「はい。最近は落ち着いて生活できています。山澤部長、数々のご配慮ありがとうございます。」

 

「まぁ、あんまり考え込み過ぎるなよ。大宮を見てみぃ。あの歳でまだあんなに怒られるんやで。そういう仕事やねん。お前も少しずつ強くなっていかんとな。」

 

「はい。頑張ります。」

 

「大阪におると、千波の顔が怖いからビビッてまうよな。わかるで。こいつもイイ男なんやけどな。」

 

「儂と同じくらい部長も怖いですって。隠すのが上手いだけですやん。」

 

「まぁ、現場監督は色んな顔を使い分けなあかんからな。厳しいことを言わなあかん時も必ずある。どんだけ言いにくくてもな。橙野もわかるやろ?」

 

「わかります。そういう場面にたくさん遭遇しました。でも言えないこともあったので苦しかったです。」

 

「仕事覚えて、出来ることや知ってることが増えてきたら、そういう場面も減ってくるとは思うけどな。ゼロにはならんやろうけど。そういう場面とは、ずっと向き合っていかなあかん。でもな、千波みたいなタイプだけがこの仕事の全てではないねんで。」

 

「どういうことですか?」

 

「お前、千波みたいになれたら毎日楽しいやろなって思ってるやろ?」

 

「えっ!・・・・そうですね・・・・好きなことを好きなだけ言ってストレス無さそうだなとは思い・・・・あっ、すいません。」

 

「ムハハハハハハ!!お前、儂のこと、そんな風に思ってんのか?!ムハハハハハハ!!」

 

「なぁ?千波。ワイの言うた通りやろ?」

 

「ほんまですね。さすが山澤部長ですわ。」

 

「お前はほんまに損な顔なんやなぁ。」

 

「親の心、子知らずですわ。」

 

「?????????」

 

「なあ、橙野。千波は千波でめっちゃ気を遣おてやってんねんで。まぁ、それはもう一個上の段階の話や。とにかくな、この業界には千波みたいにならんでも仕事をしてる奴はいっぱいおんねん。これからのお前の仕事はそれを知ることやな。千波みたいになるかどうか、なれるかどうかはそれからの話や。」

 

「???。具体的にはいったいどうすれば・・・」

 

「ちょっと待った!あいつ呼ぶからちょっと待っとけ。」

あいつ?誰のことだろう。

 

早く図面整理に行かせてくれないかな?

 

めっちゃ失言しちゃったな。千波次長怒ってないかな?

 

これからどうすればいいんだ?それを知るってどういうことだ?

 

色んな考えが同時に頭の中を駆け抜けていく。どれくらい時間がたっただろうか。会議室のドアがガチャリと開いた。

 

「失礼します。お呼びでしょうか?」

 

そこには背の低い小太りの中年男性が立っていた。初めて見る人だ。うちの会社の作業服を着ていたから、本社の建築部の人ではあるんだろうけど。

 

「おお。福田。こいつがこの間話してた橙野や。明日からよろしく頼むわ。」

 

「わかりました。橙野君、よろしく。」

 

「???・・・・はい。よろしくお願いします。」

 

「橙野。明日からは、この福田の下で仕事してもらう。とにかく、福田に付いていったらええから。」

 

「明日からは僕と一緒に動こう。朝礼の後、少しミーティングして現地に行くから、作業服で来てね。」

 

「???・・・・はい。」

 

「明日はどこや?市内の物件か?」

 

「いえ、とりあえず尼崎のマンションからですね。」

 

尼崎?マンション?

 

「橙野。大丈夫や。何も考えんでええ。福田についていけ。そしたら世界が広がるんや。」

 

「部長、えらいかっこええこと言いますやん!」

 

「ワイはお前と違って、怖い上司やのうて、良い上司やからな。」

 

「橙野、騙されるなよ。この人儂より怖いからな。」

 

「話はこれで終わりや。橙野は明日からも気楽にやれや。な? 福田、頼んだで。」

 

「はっ!頼まれました!!」

 

大人ってこんなに背筋伸びるの?っていうくらいシャキッとした姿勢で福田さんは返事をした。

 

会議室を出た後、お互いに軽く自己紹介をした。

 

福田さんは大宮さんと同じ主任という立場の人で、主に建物の補修工事を担当している人だった。

 

次の日から、僕と福田さんとの二人三脚での補修の仕事が始まった。

 

(写真提供:奈羅尾卓矢)

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