辞めるか死ぬか
作:橙野ユキオ浪人して入った大学は私立の工学部だった。
高校の頃、夢の無かった僕は某リフォーム番組を見て感動し、建築学科の門をくぐった。
舞台は広島。初めての一人暮らし、バイト、講義、研究、部活、たまに恋。
人生の楽しさ詰め合わせセットのような日々だった。
そんな中で、バイト先で知り合った郷田はイケメンなのに飾るところが無く、同学年で良いやつだ。
彼も建築を勉強していて、大学卒業後、大手のゼネコンに就職した。
僕は国立大学の大学院進学を目指したが編入試験で落ちてしまい、あわてて就職活動をした結果、大阪の中小ゼネコンに就職した。
大宮さんと出会ったのは社会人一年目の秋。僕にとって二つ目の現場だった。
大学は違ったが、郷田とは気が合って、社会人になっても近況を報告しあっていた。
あるとき彼は言った。
『もうすぐ辞める。これは人間の生活じゃない。』
ウソだろと思った。しかし、よくよく考えてみると、僕は毎日、夜遅くても会社の寮に帰ることができるが、郷田は田舎の山奥で仮設事務所兼宿舎に寝泊まりしながら24時間トンネルを掘る現場にいた。
郷田はこの後、本当に会社を辞めた。入社して一年ちょっとだった。
郷田の環境よりはマシだ。じゃあやっぱり、僕の実力が足りないからこんなに辛いんだ。僕の実力が足りないから帰れないんだ。自分のことがどんどん嫌いになっていった。
僕の会社は大変な仕事だからこそ、社員同士の絆は深かった。
本当にヤバい時は、他の現場から手助けに来てくれたりして、みんなで良いものを作ろうという空気があった。
大宮さんはそんな中で率先して場を盛り上げる人だった。
周りの人は僕のことを凄く支えてくれている。なのに僕は色々なことができない。わからない。
みんなに迷惑をかけている。まだまだ若手だから迷惑なんかかけて当たり前だと所長は言ってくれるけど、その優しさが僕の心を締め付ける。
『ありがとうございます』より先に、どうしても、『すいません』が出てしまう。
すいませんと言う度に、自分にガッカリする。
気にしなくていいと頭では分かっていても、毎回絶望的な気分になった。
会社を辞めれば、大宮さんに一生会わなくていいかもしれない。でも、鏡を見れば自分とは一生会い続ける。会社を辞めてしまってから、そんな自分と決別するには死ぬしかない。
他の出来事で自信を得られたとしても、それは別物なのだ。
この仕事で失った自分への期待は、この仕事からしか取り戻せない。
朝になり、洗面台に立つと見える男の目は、この時はまだ死んでいなかった。