Psychoro

パニック野郎と僕物語ーダサい自分と幸せな自分はたぶん両立できる 第26話 「青春をもう一度」

作:橙野ユキオ

※この物語の概要と作者が伝えたいことはこちら

 

・新しい生活リズム

職業訓練所に通うことに決めて、初日の朝を迎えた。朝の通勤ラッシュの時間に車を走らせるのは初めてだった。引きこもりの病院通いの生活から一歩抜け出して階段を上がったような気分だった。

職業訓練所というのは、一言で言うと大人の学校のような場所だった。

入り口には大きな校門があり、その隣には大きな駐車場があった。生徒が主に車で通うからだろう。50台くらいは駐車できそうだった。敷地内には学科を学ぶ教室棟、実験や実技を学ぶ実験棟、食堂に体育館まであった。割り当てられた教室に入ると、窓からは広いグラウンドが見えた。

それぞれの生徒が、身につけたい職能によって教室が分かれていた。僕は電気の勉強がしたかったので電気設備科のクラスに入った。クラスには僕を含めて全部で20人の生徒がいた。

案内された席について担当の先生からオリエンテーションを受ける。初日ということもあってすごく緊張していたけど、先生が終始笑顔だったので少し安心した。

同じクラスの生徒は年齢がバラバラだった。当時僕は二十代だったが、三十代の人も四十代の人もいたし、一人だけだったが女性もいた。僕の父親より年配の人もいたし、19歳の若者もいた。みんなとてもフレンドリーですぐに仲良くなった。その中でも僕と同い年の生徒が三人いたので、僕は彼らと特に仲良くなった。

彼らの名前は澤ちゃん、トヨくん、シーリーという。僕は彼らにユッキーと呼ばれた。あだ名で呼ばれるなんて何年ぶりだろうか。僕の苗字は鳥取では結構ありふれているのだが、大阪だと珍しい名字で、大学に進学してからは誰からも名字で呼ばれていた。ユッキーとは呼ばれたことが無かったので最初は恥ずかしかったが、直ぐに慣れた。

社会人として互いに尊重しているので、教室でイジメも無く、プライベートは詮索せず、絶妙な心の距離感があった。僕はここに通うことになった経緯をあまり話したくなかったので、この距離感がとても心地よかった。年齢がバラバラの集団だったというのが大きかったと思う。

ここに通っているうちはずっと失業保険が貰える。漠然とした焦燥感はかなり小さくなっていた。本来、失業保険は三か月しか貰えないが、訓練所の訓練期間は六か月だったので、僕は六か月貰えることになった。勉強して生まれ変わった六か月後の自分を想像するとワクワクした。

 

・どこか変な友達

訓練所に通うようになって僕の生活はとても規則正しいものになった。朝礼に間に合うように訓練所に行かなくてはいけないので、朝は必ず早く起きた。早くといっても、七時に起きて準備して出れば訓練所には十分間に合う。訓練所に着くと友達がいて何気ない話ができる。授業を真面目に受けるだけで誰にも迷惑はかけなくてすむ。夕方には帰宅できる。土日は確実に休み。失業保険はきちんと貰える。文句なしだった。とても楽しかった。社会人生活と比べると、ぬるま湯のような生活だった。

しかし、他の人にとってはそうでもないようだった。八時半の朝礼に遅刻してくる人を見ていて意味が解らなかった。勉強してるだけでお金が貰えるのに、授業で居眠りしている人を見て、何を考えているんだろうと思った。口には出さないけれど、僕にとっては奇妙な行動をしている人は大勢いた。

仲の良かった三人についてもそれは例外ではなかった。澤ちゃんもトヨ君もシーリーもしっかりとダメな部分があった。おそらく僕にもダメなところはあるんだろうけど、僕らはお互いに自分のダメなところには気づいていなかった。

澤ちゃんは、計画を立てるということがまるで出来ない人だった。元々調理師の免許を持っていて、前職は大手企業の食堂で働いていたと言っていた。なぜ辞めたのかと尋ねたところ、献立が作れなくてクビになったらしい。事前に献立を決めても、その日の気分で仕入れの内容を変えてしまうので予定通りのランチを作れなくて会社とトラブルになったそうだ。会社員には向いていなんじゃないかと思った。

自分で飲食店をやった方がいいんじゃないかと言ってみたが、会社員の安定した生活をしたいらしい。澤ちゃんはとにかくお金が大好きで、怪しげな儲け話をしょっちゅうしていた。僕も危うくパワーストーンを買わされかけたので、油断も隙も無い友達だった。絶妙の距離感で付き合うことを求められる人だった。

トヨ君は三人の中では一番まともで、授業も実技もしっかり勉強していたし、頭も悪くはなかった。訓練所の授業はとても分かり易い構成になっていたので僕は苦労することは無かったが、人によっては難しくて補習を受けている人もいた。そんな中で、「分らなかったらとりあえずトヨ君に聞け」みたいなルールが出来上がっていって、トヨ君はみんなに頼られていた。

一つ問題があるとすれば、彼は学生時代にイジメられていた経験があり、自己評価がとにかく低かった。自分の気持ちを表に出すことが苦手で、他人に嫌われることをとにかく恐れていた。彼がどうしたいのかわからないので、僕がどうしてあげたらいいか解らず、少しイライラすることもあった。でも基本的には良い人だった。

シーリーは同い年なのに、ずっと敬語で話しかけてくる人だった。苗字に「尻」という文字が入っていたので、あだ名はシーリーになった。彼は一見、大人しそうで謙虚に見えるのだが、本質の部分でとてもだらしない人だった。

彼はしょっちゅう遅刻していたし、宿題も忘れがちだった。理由を聞くと、宿題をやろうと思ったがどうしてもやる気にならず、お酒を飲んで寝てしまって、今朝遅刻したと言った。シンプルにダメな大人だった。「みんなは凄いよ、絶対大丈夫だよ!」と爽やかな笑顔で言うのが彼の口癖だった。シーリーもちゃんとやろうよと言っても、僕には難しいと言って、最後までだらしない生活は変わらなかった。囲碁が好きで、よく囲碁の話をしていた。澤ちゃんに高額の碁石を買わされそうになっていたので全力で止めた。

僕も引きこもりだし、精神疾患があったので、人のことをいろいろ言うことはできないんだけれども、それにしたって少し変な人が集まっているなぁという印象だった。でも、嫌な気持ちは全然無かった。むしろ、僕にとってはそこが面白かった。人間の様々な面が見れることが刺激的だったので、毎日通うのが楽しみだった。安心して通えたのは、暴力的な言葉や行動で他人を傷つけたりする人がいなかったからだと思う。みんなどこかが傷ついていたからだろう。

 

・当時を思い出してみて

この頃のことを思い出していると、僕はつくづく「人間」に興味があり、好きなんだなということを再確認した。人間関係に悩み、人間に腹を立てたり恨んだりしたことで苦しんでいたが、面白かったことや感動したことで思い出すのも人間に関することばかりだった。

当時、食べて美味しかったものとか、見て感動した景色とかってあったのだろうか。思い出せない。

それよりは澤ちゃんの怪しげな笑顔をはっきりと覚えている。

僕は学生に戻った気分で、彼らと訓練所生活を満喫していた。

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