Psychoro

パニック野郎と僕物語 第2話「大阪メモリーズ」

大阪メモリーズ

作:橙野ユキオ

 

学生として過ごした20世紀は静かに過ぎ去り、社会人としての21世紀は怒涛の勢いで日々が押し寄せていた。大阪は良くも悪くも活気があり、蒸し暑さは僕から判断力を奪う。ヘルメットの中の熱気が凝縮し、メガネの上を滑り落ちる。よく見えないまま、仮設足場の階段を昇っていく。

それにしても暑いなぁ。アイス食べたい。彼女欲しい。逃げたい。早く帰りたい。彼女欲しい。

明日は事務所であれをやって・・・・明後日はあの人が来るから作業指示をして・・・今日は・・・・・・

 

あれ?今日は何をやらなきゃいけないんだっけ?

 

当時の僕には何もかもがよく見えていなかった。太陽が沈んだら今日が終わるのは20世紀の思い出だ。考えなきゃいけないことは一つでも多く減らしたいのに、ボーっとしながら色んなことを同時に考えてしまう。フッと我に返ると、現場に大宮さんの怒号が響いていた。

 

『橙野ーーーー!!ここの写真は撮ったんかーーーー!!コンクリ打ってまうどーーーー!!』

『すいません!いま行きます!』

 

コンクリートを打設する日は建設現場にとって「祭り」だ。多くの職人さんが関わり、建物の骨組みを作り上げる総仕上げ。いつにも増して現場には活気があり、空気がザワザワしている。こういう時は事故が起きやすい。事故を未然に防ぐのも大宮さんや僕の重要な仕事だ。

 

『宮ちゃ~~ん。この階段のとこ、どうすんの~~~?』

『どうするもこうするもないがな。いい感じにすんねん。いっつもそうやろ?』

『いつになったら、ちゃんとした指示出せるようになんねんな。新人の頃と変わってへんで。』

『変わってるわ!アホ!!』

 

大宮さんはいつになくテンションが高い。祭りだから。単純だ。

僕は、明るく、威勢がよく、不良のようなオーラを持った大宮さんが、死ぬほど怖くて、それ故に大嫌いだった。

 

 

田舎で生まれ育ち、普通科の高校生だった僕は、小さい頃から夢というものが無かった。普通科の高校を選んだのも決断を先送りしただけだ。

当時の僕は何のために勉強をしているのか全くわからなかった。元来の真面目な性格のおかげで勉強をしないわけではなかったが、頭が良かったかと問われればそうでもない。学年全体で中の上。テストによっては中の下。太っているので運動も得意ではなく目立てない。だが勉強よりは運動の方が好きだったので部活はわりと頑張っていた。だが、三年生の時に出場した念願のインターハイは一回戦で負けた。やっていた競技がマイナーなこともあり、プロになりたいなど考えたこともなかった。

それでもズルズルと部活を続け、気づけば9月になっていた。普通科の高校生が受験勉強を始めるには遅すぎるのだが、何故か危機感は無かった。ホリエモンが9月から勉強を始めて東大に入学したとテレビで言っていたから。国公立大学のどこかに入るなんて普通にやってれば問題ないと本気で思っていた。

 

今になって思うことだが、この時の「思っていた」は「思うようにしていた」が正しい。どうにもならなさそうな、悪い結果が待っていそうな現実的未来を壺に入れ、都合のいい未来で蓋をして見ないようにしていた。

 

自分は、自分にしかできない何かをするために生まれてきた特別な人間。

 

自覚はしていなかったが、ずっと昔からそういう意識はボンヤリと僕の中に存在し、この後長く僕を苦しめることになる。こいつの一番厄介なところは、僕の考える「普通にできること」が出来なかった時、突如として落差を作り出すことだ。僕の中には特別な自分が普通よりも常に上にある。こんなことも出来ないなんて!!と勝手に考え、落ち込んでしまう。広大な草原を歩いていたはずなのに、いきなり崖から落ちるような錯覚。リアルすぎて錯覚かどうかわからない錯覚に囚われる。この落ち込みが半端ではなく、僕はこの世に必要ない人間なんだとか思い始める。こうなったらもうお終いで、僕はヒトではなく、何かに怯えるナニカになる。底まで落ちたら後は上がるだけと世間は言うが、ナニカは底があるということを疑っている。

 

僕が大宮さんを嫌いな理由は、僕にこの特別な人間だという意識があるためだ。威勢のいい不良が怖いのは、元気よく僕の壺の中を覗きたがるから。そいつが怖いわけではなくて、ダメな自分を解らせられるのが怖い。僕は自分のことを少しでも好きでいたい。なのに、奴らは場合によっては素手で壺の中を触る。それが耐え難い苦痛だった。相性の問題だ。どちらが悪いわけではなく相性が悪い。今ではそれがよく解る。だからこうして書けている。

 

ふんわりと始まった僕の受験勉強は、ふんわりと失敗し、僕は浪人することになる。ここでも友達も浪人していたこともあり危機感は薄かった。5年後に大宮さんと出会うとも知らずに。

 

 

つづく

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