作:橙野ユキオ
内科の病院に通って診察を受けても、僕の症状は一向に改善しなかった。出勤しようとすると過呼吸と痙攣が止まらない。欠勤の連絡をするとピタッと治まる。大人失格。ダメ人間。頭はずっとフル回転。その後、一日中、自己嫌悪に陥る。その繰り返しだった。
出勤したり、しなかったり、そんな日が一週間続いた。会社の上司も、本格的におかしいと思い始め、腹を割って話をする機会も設けられたが、僕が「大丈夫です!」しか言わないので二回目が開かれることは無かった。
めちゃくちゃに優しいライオンが居たとして、そのライオンはウサギの友達を作ることができるのだろうか。僕はライオンの友達はライオンしか無理だと思う。せいぜいハイエナやトラまで。ウサギはライオンの差し出した手を握れない。優しくすることを約束してくれていたとしても、その手には爪があり、何気ない握手でやられる可能性がある。ウサギは常に気を抜けない。ライオンは良いライオンで、悪気は無いのに。
そんなある日、由美と一緒に行った五軒目の病院で、僕に「パニック障害者」という新たな肩書が付いた。
この時も由美は常に冷静だった。身体に異常が無いのなら、もしかして?と由美が思い、受診した診療科でのことだった。医者の説明に黙って頷く由美の横顔を見ると、日常の顔だったので驚いた。僕は障害者になったという事実を受け止められないでいた。「駄目の烙印」を押されたような気がしたからだ。
「まあ、大丈夫やって。大阪はいろんな人おるし。ユキオはマシな方やと思う。入院せんでいいみたいやし・・・」
「いや・・・でも・・・」
「しばらく休んだらいいんちゃう?珍しい事じゃないって。その気になったら一年くらいは私が食わせたるから。ただし、それ以上は知らんで(笑)」
由美の男気には、これまですごく助けられていた。しかし、この時は緊張して心臓がドクンッと鳴った。
一年しかない。一年しか。最悪一年。もし一年で復活できなくては人間として終わり。
この時の会話を由美はもう覚えていないだろう。たぶん冗談だし。僕もずっと覚えていたわけではない。しかし、この言葉がキッカケで、由美への感謝と恐怖が生まれた。由美のおかげで自分は生きている。生かされている。この人しかいない。こんな僕と付き合ってくれるのは、この人だけだ。という意識は更に強くなった。これは愛なのか、依存なのか。そんなことを考える余裕は僕には無かった。
両親とも相談し、僕は会社を休職することにした。期間は三か月。診断書を提出するとあっさりと受理された。職場へのあいさつは勇気を振り絞って行った。会社の人たちはみんな笑顔だったが、僕のことをどう扱っていいか解らない雰囲気は感じたので、足早に会社を出た。
現場にも挨拶に行く。所長や大宮さんは僕をどう思っているのか。凄く緊張した。何を喋ったのかは覚えていない。大宮さんの背中が寂しそうで、申し訳なさに泣きそうだった。
次の日から僕の休職生活が始まった。二十五歳。社会人二年目の秋だった。
内科の病院に通って診察を受けても、僕の症状は一向に改善しなかった。出勤しようとすると過呼吸と痙攣が止まらない。欠勤の連絡をするとピタッと治まる。大人失格。ダメ人間。頭はずっとフル回転。その後、一日中、自己嫌悪に陥る。その繰り返しだった。
出勤したり、しなかったり、そんな日が一週間続いた。会社の上司も、本格的におかしいと思い始め、腹を割って話をする機会も設けられたが、僕が「大丈夫です!」しか言わないので二回目が開かれることは無かった。
めちゃくちゃに優しいライオンが居たとして、そのライオンはウサギの友達を作ることができるのだろうか。僕はライオンの友達はライオンしか無理だと思う。せいぜいハイエナやトラまで。ウサギはライオンの差し出した手を握れない。優しくすることを約束してくれていたとしても、その手には爪があり、何気ない握手でやられる可能性がある。ウサギは常に気を抜けない。ライオンは良いライオンで、悪気は無いのに。
そんなある日、由美と一緒に行った五軒目の病院で、僕に「パニック障害者」という新たな肩書が付いた。
この時も由美は常に冷静だった。身体に異常が無いのなら、もしかして?と由美が思い、受診した診療科でのことだった。医者の説明に黙って頷く由美の横顔を見ると、日常の顔だったので驚いた。僕は障害者になったという事実を受け止められないでいた。「駄目の烙印」を押されたような気がしたからだ。
「まあ、大丈夫やって。大阪はいろんな人おるし。ユキオはマシな方やと思う。入院せんでいいみたいやし・・・」
「いや・・・でも・・・」
「しばらく休んだらいいんちゃう?珍しい事じゃないって。その気になったら一年くらいは私が食わせたるから。ただし、それ以上は知らんで(笑)」
由美の男気には、これまですごく助けられていた。しかし、この時は緊張して心臓がドクンッと鳴った。
一年しかない。一年しか。最悪一年。もし一年で復活できなくては人間として終わり。
この時の会話を由美はもう覚えていないだろう。たぶん冗談だし。僕もずっと覚えていたわけではない。しかし、この言葉がキッカケで、由美への感謝と恐怖が生まれた。由美のおかげで自分は生きている。生かされている。この人しかいない。こんな僕と付き合ってくれるのは、この人だけだ。という意識は更に強くなった。これは愛なのか、依存なのか。そんなことを考える余裕は僕には無かった。
両親とも相談し、僕は会社を休職することにした。期間は三か月。診断書を提出するとあっさりと受理された。職場へのあいさつは勇気を振り絞って行った。会社の人たちはみんな笑顔だったが、僕のことをどう扱っていいか解らない雰囲気は感じたので、足早に会社を出た。
現場にも挨拶に行く。所長や大宮さんは僕をどう思っているのか。凄く緊張した。何を喋ったのかは覚えていない。大宮さんの背中が寂しそうで、申し訳なさに泣きそうだった。
次の日から僕の休職生活が始まった。二十五歳。社会人二年目の秋だった。