Psychoro

パニック野郎と僕物語 13話「ジェットコースター」

作:橙野ユキオ

 

三週間ぶりに戻った現場は、9割近く建物が完成していた。図面の中でしか見たことのなかったものが、目の前に立体で現れた。

 

所長も大宮さんも、僕のことを温かく迎えてくれた。その時、僕は二人の空気が今までと違う気がした。

 

これは以前にも感じたことのある空気だ。

 

インターハイで対戦したあいつ。大学の卒論発表の時、隣になった同じゼミのあいつ。

 

この日に向けて、万全の準備をしてきた人が出す独特の空気だ。

 

具体的にどういうものかを説明するのは難しいが、仕草、声のトーン、顔つきなどで何となく感じるものだ。

 

きっと二人で僕のことを、かなり話し合ったのだろう。二人に留まらず、会社の偉い人とも話し合いがあったかもしれない。

 

特に大宮さんは、僕に対してすごく言葉を選んで喋っている感じがした。彼自身は傷つけるつもりはない言動で、僕がおかしくなってしまったことで彼も悩んだに違いない。

 

しかし、自分には自分のスタンスがあるという主張も感じたので、全部を僕に合わせているということでもなかった。大宮さんは大宮さんだった。当たり前のことだけど。

 

大阪で働いていた時期のことを思い返してみると、大宮さんを含めて明確なパワハラやセクハラを受けたことは一度も無いと思う。

 

それ故に、周りの人たちは僕が倒れた時「なんで?」と思ったに違いない。僕も解っていなかった。だから自分が根性のないダメ人間と思ってしまった。

 

鳥取のカウンセラーさんと何度も面談することで解った原因の一つは・・・

 

「鳥取弁に比べて、関西弁は語気が強い。」

 

これである。鳥取に住んでいると「アホか!!」なんて言われることは殆ど無い。父親にさえ、そんな言葉で怒られたことはない。僕にとっては、最近ようやく耳慣れてきたショッキングな悪口なのである。

 

関西圏の文化としてボケとツッコミの文化が一般人の日常生活レベルまで浸透しきっている。「アホか!!」は一般的なコミュニケーションの一つだ。

 

「アホか!!」と「こんにちは」は大差ないと個人的には思っている。少なくとも僕の感じた「関西」とはそういうものだった。

 

大学入学をきっかけに関西圏の文化に初めて触れた僕は、その面白さにすぐに虜になった。毎日がジェットコースターだ。勉強も恋愛もバイトもボケとツッコミで溢れており、本当に刺激的な毎日だった。めちゃくちゃ面白かった。今でも大好きだ。

 

成人式の頃に帰省し、鳥取にいた同級生たちと会話したとき、日常エピソードのつまらなさに驚愕した覚えがある。早く大学に戻りたいと思ったし、そういう同級生を心の中で少し馬鹿にしていた。

 

大学入学から現場で倒れるまでの約6年間、ずっとそういう環境にいた。だからすっかり自分は関西人になったつもりでいた。

 

ところがそうではなかった。学生時代は責任のない立場であることがほとんどだったので、言葉の重みを意識していなかっただけなのだ。

 

社会人になり、刺激的な日常に緊張感が加わった。なぜなら、もう大人だからだ。

 

建築物の施工管理をするうえで僕が一番心がけていたことは、「若くて経験が無いからミスをするのはしょうがない。しかし、一生懸命やって、そのミスをできる限り少なくする。なぜならプロだから。そういう勉強をたくさんしてきたのだから。」ということだ。

 

社会人として働くということに、一年目から異常なプロ意識があった。

 

しかし、現場の大人たちが若者に求めるものは、そういうことではなかったのではないかと思う。何でもやってみて、たくさん失敗して、周りにたくさん迷惑をかける。ちくしょう!と思いながら立ち上がる。ありがとうございますと言って周りに感謝する。そこから学んで、経験を積んでほしい。そういった姿勢を求められていたんじゃないだろうか。

 

なんなら、失敗してほしいと思っていた大人すらいた思う。「しゃあないなぁ。」と言いながら、気さくに助けてくれた大人は何人もいたから。

 

「何してんねん。」・・・と言いながら、僕の仕事の進捗状況をチェックしてくれてる。

 

「なんでそんなことなるん?」・・・わからないことを、自分で調べているかどうか見ている。

 

「おかしいやろ。」・・・なぜ違うのかを一時間以上かけて説明してくれる。

 

「今日だけやで。」・・・と言いながら次の日も助けてくれる。

 

「どこ見て歩いてんねん!」・・・考え事をしながら歩いていて、墜落事故になりそうだった僕を助けてくれた。

 

愛だらけ。僕の周りは、そこらじゅう愛だらけだった。僕は愛にまみれていた。

 

でもその時の僕は、周りが求めていることとは違うことを考えていた。

 

「あの時は、何をやっているのが正しかったんだろう。」

 

「知らないことが多すぎる。もっとたくさん覚えていれば。」

 

「助けてもらえるのは今日だけらしい。また間違えたらどうしよう。」

 

「どこを見て歩けばよかったのだろう。明日はどこを歩けばいいのだろうか?」

 

「すいません。出来なくてすいません。」

 

「こんなに苦しいのは何故なんだ?誰のせいだ?僕か?こんなに苦しいのに?」

 

要するに、独りよがりのプロ意識なのだ。

 

仕事の時はボケられなかったし、ツッコめなかった。そういうことは、ミスをしなくて余裕のある人がするものだと思っていた。

 

ミスしたくなくてもミスをする毎日が続くのに、ふざけていいと思えなかった。

 

「出来ない奴のくせに、笑ってんじゃねぇ。」と言われるのが怖かった。

 

僕よりたくさんミスをする人が、いろんな人から可愛がられていることが不思議だった。

 

僕にとって「アホか!!」は、日常の言葉ではなかった。当たり前だ。関西人6年生になる前は、鳥取人19年生なのだから。基本は大人しい田舎者なのだ。ほんのり関西人風味の味付けというだけだ。

 

鳥取に帰ってくるまで、そんな当たり前のこともわからなかった。

 

刺激的な毎日。愛に溢れた毎日。毎日がジェットコースター。一日8時間以上ジェットコースターに乗っている毎日。

 

なぜしんどいのか。なぜ自分は8時間ジェットコースターに乗れないのか。周りはみんな乗っているのに。僕も乗れるはずなのに。乗りたいのに。

 

そういうことを悩む毎日。周りの何気ない言葉に傷ついたり、舞い上がったりする毎日。

 

三週間ぶりに復帰しても、現場が僕にとってジェットコースターであることは変わっていなかった。

 

前より少し穏やかになった大宮さんと一緒に仕事をするうちに、僕のテンションは、ゆっくりと普通に戻っていった。

 

感謝とか優しさというものが何なのか解らなくなってきていた。

 

そうこうしているうちに、建物が完成した。何の感情も湧かなかったので、自分で自分をヤバいなと思った。竣工日がこの仕事のやりがいを一番感じられる日なのに。

 

僕は次に何を言われるかの方が気になっていた。

 

所長に呼ばれた。

 

「橙野!明日からとりあえず本社に通え。」

 

次の日から僕は、姫路の本社に通うことになった。

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